創業から100年以上、時代の変化に合わせて主力事業を柔軟に変え続けてきた丸久。会社を牽引するマネジメント層の3名に、過去の苦労から現在の社風、そして海外展開を見据えた未来のビジョンまで、本音で語り合ってもらいました。
こうして3人で話すのは珍しいですね。大北さんと僕、付き合い自体はもうめちゃくちゃ長いですよね。15年くらいになりますか? 以前は拠点制で、部門が本社と大阪と東京に分かれていた時期もありましたけど、その頃からずっと連携してましたし。
そうですね、もうそんなになりますか。僕が大阪で新規開拓をして、その生産を橘さんのいる第2グループにお願いするっていうパターンが多かったですからね。仕事上の付き合いは一番長いかもしれない。バングラデシュ工場ができ始めた頃から、より密になった感じかな。
本当に仲良くさせてもらってます(笑)。僕の結婚式で、大北さんにスピーチしてもらったくらいですからね。公私ともにというか、節目節目でお世話になってます。
あの時は緊張しましたよ(笑)。平石さんは入社されて今4年半くらいでしたっけ? なんだかもう、ずっと前からいるような貫禄がありますけど。
そうなんですよ、まだ4年半なんです。でも社内のみんなからは「え、まだそんなもんでしたっけ?」って言われて(笑)。自分としては丸久でやりたい事が沢山あるので「もう4年半も経ってしまった」という感覚です。
でも平石さんが入ってから、会社の仕組みづくりが一気に変化したのは間違いないです。昔から社長が先頭を切って旗を振るスタイルでしたけど、ここ数年は社員が主体的に考えて動く組織に変わってきた。会社らしくなってきたな、という実感はすごくありますね。
会社が変わったと言えば、ここ数年の事業環境の変化は本当に大きかったですよね。かつての主力だったGMS(総合スーパー・量販店)の売り上げが業界全体で落ち込んで、専門店へと大きくシフトせざるを得なかった。この5年くらいで一気に流れが変わりました。
大阪に関してはもっと早くて、実は15年くらい前の時点で既に「このままじゃダメだ」っていう危機感があったんです。GMSが西日本から徐々に衰退していく中で、売り先を変えていかないと生き残れないなって。橘さんもその時期、一緒にやってて苦労しましたよね?
いやあ、苦労しましたね(笑)。取引先が変わると商売の仕方が全然違うので。求められる品質レベルも異なりますし、そこに対応するのは本当に大変でした。
そうそう。GMSの頃は、営業活動というより少しサービス業に近いというか、お客様の事務作業をこちらで巻き取ってやるような仕事も多かったんです。でも専門店との取引になると、そういうことよりも純粋に「品質」への要求が厳しくなる。素材の開発とか、よりテクニカルな部分が求められるようになったんですよね。
単にモノを右から左へ売るだけじゃ通用しなくなりましたよね。自分たちで生地から開発したり、品質基準をクリアするために試行錯誤したり。
その変化に対応するために、僕ら営業も必死で糸の勉強や編み地の勉強、染色の知識なんかを身につけていきました。バングラデシュに自社工場ができて、生地から作れるようになったのも大きかったですね。苦労はしましたけど、結果、組織としての専門性はすごく上がったと思います。
いろいろ変わっていく中で、逆に昔から「変わらない良さ」ってどこだと思います? 僕はやっぱり、社風というか人間関係かなって思うんですけど。「悪い人はいない」っていうのは昔からよく言われてますよね。
それはありますね。良くも悪くもですけど、みんなすごく「真面目」。コツコツと堅実に仕事をこなしていく風土はずっと変わらない気がします。言葉にするのは難しいですけど、派手さはないけど安心感があるというか。
徳島の県民性もあるんですかね? 地に足がついているというか。
それはあるかもしれないですね。すごく堅実なところがありますから。
僕は県外出身ですけど、その「堅実さ」はすごく感じますよ。
そうそう。だからこそ、判断を待ってしまう所があって、そこはもっと一人ひとりがアグレッシブに働きかけていかないといけないかなとも思います。ただ、責任感がそれぞれ強いのも丸久の特徴かな。節目節目で誰かが危機感を訴えて、行動に移している。その誰かの足を引っ張るのではなく、支えようとする包容力も感じます。だからこそ、大きな変化の時でも組織が崩れずに、みんなで着実に対応してこれたんだと思います。
社是の1つである「変化への対応」の延長線上で、今まさに取り組んでいるのが海外展開ですよね。1990年にタイに工場を出して以来、生産はずっとグローバルでやってきましたが、これからは「売る場所」も世界へ広げていこうと。日本国内はどうしても人口減少が避けられないですし、特に子供服を扱っている私たちは、他社さんよりもその危機感は強いですから。
そうですね。せっかく海外に生産拠点があるんだから、日本だけにこだわらずにグローバルに売っていこうというのは自然な流れだと思います。
欧米への展開を考える上でも、バングラデシュに自社工場を持っているのは、ものすごく大きな武器になります。ヨーロッパへの輸出が主力の国ですし、大学を出ているバングラデシュの人は基本的に英語を話せますから。創業時は足袋メーカーで、戦後に肌着メーカーに、そこから子供服のアウターウェアへ、工場を海外へ、そして今は海外市場へ。時代に合わせて自分達の会社の形を柔軟に変えられるのが、この会社の強みですよね。
海外、特に欧米のブランドって、間に商社を挟まずに「工場と直接取引する文化」があると聞いていましたが、実際アプローチしてみてやはりそうでした。だから、自社工場を持っている我々にはチャンスがある。営業としても、それは大きな自信になりますし、仕掛けやすい部分ではあります。
本気で進めようとしているフェーズですね。イギリスなどへのアプローチも始めていますし、ゆくゆくは自社ブランドを越境ECで販売するような形も含めて、丸久が手掛けた服を日本以外のお客様に届けられる可能性は無限にあると思っています。
これから会社をさらに成長させるためには、社員一人ひとりのキャリアについても、もっとオープンに話せる環境を作っていきたいですよね。正直、今までは「こうしたい」と声を上げるのに対して、少し遠慮しちゃうような空気があったのも事実だと思うんです。もっと自由に意見を言え、会社や上司がそれを吸い上げられる仕組みが必要だなって。
そうですね。今は定期的にキャリアサーベイやエンゲージメントサーベイを実施していて一人ひとりの想いを可視化して、上司と対話がしやすいように環境も徐々に整えてきました。個々人のモチベーションという意味では、これまでは社長が発破をかけて、社員が「なにくそ!」と頑張る、ある種のド根性や意地で乗り越えてきた部分もありますが(笑)。自分で手を挙げて、挑戦して、時には失敗もして、それでも前を向いて頑張れる、そんなサイクルが自然と回るようにしていきたいなと考えています。
そうですよね。だからこそ、例えば今、生産MDをしてくれている若手の子たちにも、「企画をやってみない?」って声をかけたりしてるんです。少しでも興味を持ってくれたなら、その道を繋げてあげたいなって。
実際、やる気があって行動する人には、ちゃんとチャンスをくれる会社ですしね。手を挙げれば、上もちゃんと見てくれていますし。
間違いないです。もちろん適性もありますけど、海外に挑戦したいとか、新しい事業をやりたいとか、そういう前向きな野心を持った人が出てきたら、会社としては全力でバックアップしていきたい。そういう人を一人でも多く増やしていくのが、僕らマネジメント層の役割だと思ってます。