営業としてキャリアを積み、現在は大阪支店長と新規顧客開拓のプロジェクトリーダーを務める
営業としてキャリアを積み、現在は大阪支店長と新規顧客開拓のプロジェクトリーダーを務める
2011年、丸久は大きな岐路に立たされていた。
主力取引先であったGMS(総合スーパー)が大手資本に吸収され、大阪を中心とした主要な販売ルートが突如として消滅。
当時の丸久は「子供服の企画メーカー」としての地位を築いていたが、事業の大きな柱を失うことは、会社の存続にも関わる危機だった。
さらに、少子化の加速と国内市場の成熟化により、業界全体が縮小フェーズへと突入していた。
このままでは、未来が見えない。
そんな状況の中、会社は"守り"ではなく"攻め"の姿勢を取る決断を迫られていた。
当時、大阪の現場で支店長代理として働いていた大北は、この危機を「チャンス」と捉えた一人だった。
GMS中心の取引に依存する構造に対し、彼は以前から課題を感じていた。
「同じやり方を続けていては未来がない」——そう確信し、大北は営業のスコープを"専門店"へ大胆に拡大することを決意した。
しかし、その挑戦はまさに暗闇の中を進むようなものだった。
取引の基盤を失い、社内にも不安と動揺が広がる。
過去の成功体験は通用せず、ゼロから顧客を開拓するしかない。
それでも大北は諦めなかった。
未知の市場に自ら足を運び、顧客との信頼関係を一から築くことに全力を注いだ。
そして、この挑戦を追い風に変えたのが、2010年に稼働したバングラデシュの自社工場だった。
「この生産背景があれば、品質もコストも自分たちの手でコントロールできる」——
そう確信した大北は、自社の"モノづくり力"を武器に新しい市場へと切り込んでいった。
大北の新規開拓は、やがて大きな成果へと結びつく。
従来のGMS中心のビジネスから脱却し、当時はまだ小規模だった専門店市場での販路開拓に成功。
これにより、丸久は売上減少の危機を脱し、新しい成長軌道へと乗り出した。
この経験が、会社に根本的な変化をもたらした。
強みは"企画力"だけでなく、高い品質と競争力のあるコストを兼ね備えた"生産力"へと拡がった。
丸久は生地から生産できる自社工場に裏打ちされた"開発提案型メーカー"へと確かな一歩を踏み出したのだ。
そして何より、この挑戦を通じて社内に根づいたのは、「市場が縮小するなら、新しい市場を獲ればいい」という開拓者のDNAだった。
この精神は今も生きている。
EC、スポーツ、アウトドア、海外市場、機能性素材の開発——
丸久の新たな挑戦のすべては、ここから始まっている。